石橋供養塔

新宿のはずれの「あずまや」というそば屋さんの敷地内に建っている道標は、その近辺に多くの石橋を架けた功徳を偲んで建てた供養の碑を兼ねています。


道標の右側面に

安永二年巳ノ十月廿三日ゟ同酉ノ十一月十三日まで石橋廿七ヶ所建立仕候為供養尊像辻石立置申候

背面には
 安永六丁酉年八月吉日  石橋供養石 
と刻まれています。

つまり、安永2年10月から、同6年11月まで約4年間に、石の橋を27か所も架け、その供養のために尊像(不動明王)を刻んだ石碑を道の辻に建てたというものです。

葛飾区教育委員会の「葛飾の文化財」によると、この地方の万人講・不動講・女中講の三つの集団が、不動明王像と道標をこの町の石工中村佐右衛門に作らせたということです。不動明王像は今はなくなっていますが、元は今の道標の竿石の上に設置してあったそうです。

すぐ近くの街道筋には、今は暗渠となってしまった用水跡に架かっていた「金阿弥橋」の欄干が残っています。川がないので珍妙な風景です。



これは、金阿弥という人が、「橋供養を兼ねた道標を建てた。その功績を記念してすぐ前の用水の橋名となった」との記述があるので、この金阿弥橋が前記27の橋の一つで、金阿弥という人は講仲間の一人ということなのでしょう。
















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